ノーマライゼーションとは

ノーマライゼーションとは、もともとは知的障害者の社旗参加を促すための取り組みを指す言葉でしたが、1981年の国際障害者年でこの言葉が強調されてから、高齢者、障害者、児童なども含めたより広い意味で使われるようになり、今では社会福祉の基礎的な考えの一つであると言えるでしょう。ノーマライゼーションの定義について、近年では次のような考え方が主流になっています。
「障害者や老人など社会的に不利を追う人々を当然に包含するのが通常の社会であり、そのあるがままの姿で他の人々と同等の権利を享受できるようにするという考えであり、方法である。」
高齢者もいれば若者もいます。障害のある人もいればない人もいます。そうした様々な人から構成される社会がノーマルな社会だという考え方ですつまり、ノーマライゼーションとは、私たちの暮らす社会をそのような通常の社会にしていこうという考え方と言ってよいでしょう。高齢社会におけるノーマライゼーションを考える上で、私は次の3つの点が重要だと思っています。
一、高齢者の自主性の尊重
日本には「老いては子に従え」ということわざがあります。また、「年寄りの冷や水」とか「いい年をして」「年甲斐もなく」というような言い方は今でもしばしば耳にします。少なくともアメリカに箱尿な言い回しはありません。「いい年をして」というような考え方は高齢者に対する差別につながるからです。
日本では「年寄りは余計な口出しをせずにおとなしく黙っていればよい」という考え方がまだまだ根強いように思われます。このような考え方は高齢者の社会における役割を奪い、生きがいをなくすものです。高齢者にも主体的な役割と自主的な活躍の場が与えられ、高齢者が社会に積極的に参加できる社会が通常の社会であるべきです。
日本では企業などが人材を募集する際に「何歳まで」という年齢制限が設けられている場合がほとんどで、高齢者が再就職しようとしても、その人の意欲、適性、能力などを見る前に年齢だけで差別されてしまい、高齢者の持っている能力や経験が生かされる場が少ないのが現状ではないでしょうか。道路の段差を解消する、地下鉄の駅にエレベーターを設置するといった、めにっ見えるバリアの解消も大切ですが、それとともに私たちの心にある「見えないバリア」を解消していかなければなりません。
二、高齢者の個別性の尊重
私たちはつい高齢者を「お年寄り」「おじいさん、おばあさん」とひとくくりにして考え、高齢者一人一人の個性や能力、気持ちを軽視していないでしょうか。高齢者は一人一人が異なった生活歴をもっており、一人一人の性格、考え方、生活の状況、抱えている悩みや問題もさまざまです。その点は若者と何ら変わるところはありません。福祉ニーズを持つ高齢者に接するときも、援助者は一人一人の高齢者の異なったニーズを理解し、その人に適した援助の仕方を考えていかねばなりません。
三、高齢者の参加しやすい社会をつくる
日本では社会の仕組み全体が若者の基準によって、若者中心に出来ているように思います。鉄道の液には長い階段があり、エレベーターやエスカレーターの無いところがたくさんあります。列車の時刻表、運賃一覧は小さな字で書かれている等、高齢者には利用しにくくなっています。高齢者はさびしいのです。誰かと話がしたいのです。いつも淋しがっていることを理解してください。