なぜ運用の英語か

 

 前章で、大学の英語は高校の英語の単なる延長ではなく、運用の英語であるべきだと述べた。大学の偉い先生を差し置いて、生意気なことを言っているように聞こえるかもしれないが、論理的に考えてそうならざるをえないのでこう言ったまでのことである。

 

 なぜなら英語はそれを大学で使うからこそ、入試科目として課されたはずである。さもなければ、語学・英文学専攻以外の学科でどうして英語を入試科目に入れる必要があるというのだろうか。英語を使う必要のない学科ならば、英語など入試科目から外せばよいであろう。 目的は使うことにある。しかし、まだ専門学科で英語を使いこなすには力不足なので英語の授業が必要だということである。したがって早急に使えるレベルに持っていかなければならない。使える英語というと、たちまち「会話力」のことと思い込む人が多いが、そのようなものは正しくは「子ヨットしか使えない英語」と呼ぶべきである。使える英語とは、専門学抖で必要な文献を読みこなし、場合によってはそれについてのディスカッションをするといったレベルのものである。そうなれば当然のこととして、高校または受験英語の単なる延長ではなく、文献を読みこなし、レポートを書き、英語で議論をするということを想定した予備訓練的なものになるであろう。旧制高校のように週十数時間も語学をやる必要はないかもしれないが、少なくとも急速に八~九合目まで引き上げ、実際の使用に備えることをめざした英語教育であるべきではないかと考える。それを運用の英語と呼んでみたわけである。

文科省が英語を壊す』茂木弘道著より