各社相次ぎ発明報酬金制度を設置

 これまで製薬企業は、確かにある意味ではぬるま湯に浸かっていた。それは薬価基準制度というシステムに守られていた面もあるし、国内で医薬品を売っていれば、不況とは関係なく、食い扶持は得られていたという側面もあった。長引く不況でも、病気は減らないからだ。しかし、製薬企業の経営を大きく左右する薬価基準の度重なる大幅引き下げ、外資系の攻勢の前に大きな岐路に立だされている。2002年度は医療機関の収入である診療報酬も平均1・3%と戦後初めて切り下がったほか、薬価も平均5%引き下げられ、これが業界の試算だと4000億円の減収になるという。

 

 ここに来て製薬企業のトップの方針に違いが生している。武田薬品工業の藤野政彦会長は、「海外の巨大製薬企業に対抗するのに(海外企業と)同し戦術では勝てない」(01年7月7日、日本経済新聞)として、数十哲円という資金力にものをいわせる欧米の研究手法とは一線を画寸方針に変わりないことを強調。そして国内企業が大型投資を打ち出していることについて、「世界の動きに毒されている」とまでいいきる。

 

 一方、ロシュの傘不入りした中外製薬の永山浩社長は、「バイオや抗体に関する研究で 世界最強のタッグチームを作ることができた。提携で大きな相乗効果を期待できる和手が国内にいなかった。中外への過半数の資本参加はロシュ側の要望だったが、同時に、経営の独立性と研究開発体制の維持を確約してくれた」と述べ、中外製薬の選んだ道は選択肢の一つだったことを強調した。世界再編の大きなうねりが製薬企業トップに決断を迫る時代になってきた。

 

 ともあれ製薬企業の命運を左右するのは、年問売上百億円以上を稼げる新薬にはかなわない。海外へ進出しても売るものがなければ意味がない。

 

 年間数千億円の研究間発費を投じて新薬に開発に取り組む欧米の製薬企業に対して、日本の製薬企業の研究開発費は、今後上積みしようといっても年間数百億円(山之内が最高で500億円)と一桁違う。

 

 限られた研究費の中で世界に通用する新薬を創るには、研究者の意欲が欠かせない。特許が個人ではなく、会社に帰属する日本社会では、この意欲を引き出すことに腐心している。最初に発明報酬制を導入したのは98年の武円薬品工業たった。研究・開発に携かった社員に年間最高1000万円を貢献度に応じて分割、5年間支給するというものだ。その後、三共加工製品当たり最高6000万円、田辺製薬はヒット製品の年間売上の1%を3年間にわたって分配するという制度を創設した。

 

 エーザイ塩野義製薬が報酬制を採用した。エーザイでは、新薬開発に貢献した研究者全員に総額で1億円以上を支給するという高額なもの。ただ貢率度に応じて分配されるが、内訳は、発明報酬金最高5000万円、発売から5年間の新薬の売上のO・05%を分配、さらに新薬の開発・製造に貢献しか研究者には、「ストックオプション」(自社株を一定の価格で購入する権利)を与える。同社では、97年に発売した「アリセプト」(アルツハイマー型痴呆症治療薬)にまでさかのぼって適用(発明報酬金とストックオプションを除いて)する。同商品の5年間の売上は約2000億円で、約1億円を約40人に貢献度に応じて分配された。塩野義も同様に、売上のO・05%を分配する。