ベータ・ラクタム系抗菌剤


1941年、オックスフォードの研究者が試験管内でペニシリンの存在下に何度も継代培養を続けると、黄色ブドウ球菌ペニシリンに耐性になることを最初に示しました。ペニシリンで治療中に患者から分離した黄色ブドウ球菌ペニシリン耐性が増大したという観察は、その翌年のことです。しかし、試験管内で人工的に獲得した耐性は、治療中に自然に生じたものとは異なって、ペニシリン不活化酵素ペニシリナーゼのためではないことがわかりました。
ペニシリンは抗菌剤としては2番目に古く、抗生物質としては最初のものです。半合成誘導体や科学的に関連のあるセファロスポリンも全て共通の選択を受ける傾向があり、しばしば共通の耐性遺伝子によって耐性化します。現在までに多くの病原最近は、ベータ・ラクタム剤に対する耐性を獲得してしまっています。
最も一般的な耐性の仕組みは、ベータ・ラクタム環を開裂する酵素ベータ・ラクタマーゼの産生を支配するプラスミドの獲得です。世界中のどこから分離しても、黄色ブドウ球菌の8割以上がベータ・ラクタマーゼ・プラスミドをもち、そのためにペニシリンにもアンピシリンにも耐性です。
グラム陰性桿菌のペニシリン及びセファロスポリン耐性の大部分は、プラスミドやトランスポゾンに支配されるベータ・ラクタマーゼによるものです。バングラデシュのダッカにある国際下痢研究機関で分離された志賀赤痢菌のアンピシリン耐性は、1971年から1981年の間に0%から一時は36%にまで上昇しました。1979年以来ザイール、ルワンダブルンジにおいて数千人の死者が出た志賀赤痢菌の流行株は、アンピシリン耐性プラスミドをもっていました。1973年に米国で初めてタイプbインフルエンザ菌のアンピシリン耐性菌が見つかりましたが、間もなく世界中から報告されました。この耐性菌はベータ・ラクタマーゼ遺伝子をもったプラスミドを獲得していました。淋菌は、使用後30年も極めて低濃度のペニシリンに感受性を示しましたが、その後、中等度の耐性菌が出現し、世界中の多くの場所で頻発しました。これらの耐性菌は、その除去や治療のために高濃度のペニシリンを必要としましたが、ベータ・ラクタマーゼ活性はもっていませんでした。1976年ベータ・ラクタマーゼを賛成し、高いペニシリン投与量でも治療できない淋菌株が初めて見つかりました。これらは極東と西アフリカでほぼ同時に、独立に出現したようですが、その後間もなく世界のあちこちから報告されるようになりました。このペニシリナーゼ産生淋菌PPNGは、今や多くの国で淋菌分離株の3分の1から2分の1を占めています。