カルパイン阻害剤


 脳を「記憶装置」と規定すると次のようなことがいえる。

 記憶は「受け取って」「擦り込んで」「蓄えて」「呼び出す」という4段階に分けられる。このため、脳を「濡れたコンピュータ」と表現する人もいる。しかし、これだけではない。擦り込みの段階では、今まで蓄えていたものと照合し、認知する作業を行い、それを記憶の広い範囲を通じて理解・判断し、思考・推理を経て意志が決定される。意志が決定されると、企画して命令を発し、行動となる。こうして行動を起こした場合、必ず感情が現れる。この感情とは、決定した意志が行われたかどうかにまつわる精神状態のこと。これら4段階を繰り返しているうちに、反省・批判、洞察・配慮が生まれ、それがいままでなかったものを誕生させる。これを創造という。

 これら記憶には、新しい記憶、古い記憶、記憶の出し入れでまた担当部署が違う。新しい記憶は、前脳、特に側頭葉と海馬が受け持っている。古い記憶は、間脳、海馬、扁桃核が受け持ち、記憶の出し入れは海馬の専属担当。頭をぶつけて救急車で運ばれてきた患者には、まず名前を尋ねてみる。それに答えられれば古い記憶があり、いつ、どこで、どうなった、ということに答えられなければ、新しい記憶がないということになる。

 脳の機能を「記憶」を中心にして分析してみると、「学習」「修得」「保持」「再生」と4つに分けられる。コンピュータのワープロ機能にたとえるならば、キーボードから文字を打ち込むのが「学習」、そしてそれを校正したり、また全体の構成をするのが「修得」にあたる。完成した文章をフロッピーディスクに保存するのが「保持」、保存したフロッピーディスクから書いた文章を呼び出すのが「再生」となる。これらが歳をとるとともに衰えてくる。

 アルツハイマー病治療薬の開発は、世界中で先陣争いが繰り広げられている。全世界ではすでに1000万人以上が発症しており、ガン患者数に迫る勢いだという。画期的な新薬が開発されれば、世界に君臨する大企業になる。

 その先陣を切ったのが、エーザイの「アリセプト」だった。アリセプトは、記憶と学習に関与している神経伝達物質アセチルコリンを分解する酵素アセチルコリンエステラーゼ」の働きを阻害することによって、脳内のアセチルコリン濃度を高め、アルツ(イマー型患者の認知機能を蘇らせようという医薬品だ。ただ中度以下の病状が対象である。

 それでもアルツハイマー型の全解明がされたとはいえず、アリセプトは決定的治療薬とはなりえなかった。99年末、米ハーバード大学が発表したのは、「P25」という特殊な夕ンパク質が脳内で生成され、それが細胞死に関係しているのではないか、ということだった。だが詳しい仕組みは解明されなかった。

 2000年6月、東京都立大学の久永真市教授らが、アルツハイマー病の引き金になる酵素を発見したと産経新聞(6月2日付け)は報じている。

 「久永教授らは、正常な脳では現れないP25が、なぜ生成されるのかをラットの脳細胞で実験。タンパク質分解酵素のカルパインを加えると、P35と呼ばれるタンパク質が分解され、その一部としてP25が出てくることを突き止めた。

 一方、カルパインの働きを抑える有機化合物などを加えるとP25は生成されなくなったことから、カルパインはP25の生成に不可欠な物質で、細胞死の引き金になっているとみている」

 つまり、カルパインの阻害剤を投与すれば、アルツハイマーの発病や進行を根本的に抑える可能性がある。いま一歩解明に近づいたが、まだ入り口かも知れず、脳の奥深さを味わうだけかも知れない。