医療から見た大学院制度の問題点

 第一は臨床医としての技量が低くなることである。手術では技量の良し悪しで簡単に人の生命が奪われることがある。技量が低くてもよいとするのなら、外科医たりえない。手術を生業とする以上、技量はなんとしても向上させなければならない。大学院に進学すると、外科医のトレーニングのもっとも重要な時期を基礎研究に費やすことになる。

 第二の問題は臨床医としての責任感が希薄になることである。妻子を抱える大学院生はアルバイトで生活費を稼ぐ。アルバイトでの診療はどうしてもその場しのぎになる。方針をとことん検討するようなこともしない。患者と長期間つきあう覚悟がなくなる。責任感が希薄になるということは、臨床医としては致命的である。大学院進学という明らかに外科医としての能力が落ちると分かっている行動を選択すること自体、外科医としての責任感の欠如を示すものだと解釈することも可能である。

 第三の問題は、人事が不透明になることである。極貧にあえぎながら、大学院を卒業するのは、必ずしも、研究に価値があると信じているからではない。わが国の臨床医の行っている研究の大半、とくに外科系の医師の基礎研究は仮想現実の世界でしか通用しない。教授選挙ゲームにおいてのみ実質的意味をもつ。本格的研究なら、臨床を捨てて研究者になればよい。実際、本格派の多くはそうしている。仮想現実の人事ゲームとしての研究は目的が人事である。大学院を卒業していない医師より、良いポストにつきたくなる。大学院進学を強く勧めている教室では、大学院を卒業して学位を得た医師を人事上優遇する。学位を持った医師も優遇されることが当然だと思うようになる。学位を得るための研究は医師としての能力とは無関係である。かえって、医師としての能力を下げている。医師としての能力の証でない学位を、人事評価の材料とすることは、人事を不透明にし、優遇されなかった医師の勤労意欲を奪う。