医療問題の根幹

勤務医は、過大な責任に耐え切れず、病院を離職している。私は、現在の医療危機克服のためには、医療提供体制を変更してでも、開業医の有効活用を図るべきだと思う。開業医にはかつてのような大きな役割を果たして、責任を引き受けてほしい。

 武蔵野赤十字病院院長の三宅祥三氏は、限られた資源で質の高い医療を提供するために、現在の開業医にもっと活躍してもらう案を提唱している。医療の安全を高めるために、病院の役割を限定して、医療へのアクセスを制限しようという大胆な案である。三宅氏は医療安全の専門家であり、有能な病院長でもある。いつでも、どこにいても、医療にかかれる体制は維持するが、どこへでもというところを、変更しようというのである。患者は、専属の家庭医と契約する。救急以外の診療は、この家庭医に限定する。家庭医に対して不満があれば、契約更改時に更新せずに、別の家庭医と契約すればよい。家庭医は単一あるいは複数の病院と契約しておき、専門医療の必要な患者をその病院に送る。病院は紹介状のない患者を診療しない。病院は外来部門を大幅に縮小する。家庭医は総合診療医として、相当のトレーニングが必要であり、相応の責任も負うことになる。

 開業医には、家庭医としてではなく、専門医として重要な役割を果たしている医師もいる。このような医師の活助を推進する意味で、三宅案には微調整が必要である。私は外来主治医という概念を提案したい。現在、どこの病院の検査部門も、開業医が利用できるようになっている。CTもMRIも開業医が撮影を直接指示できる。医師としての知識と、責任を引き受ける覚悟さえあれば、病気の診断や生活の場でのケアは、開業医にも十分こなせるのである。家庭医から病院へのルートだけでなく、家庭医から専門医としての開業医へのルートも重要である。地方には、このようなネットワークが発達しているところがある。専門医としての開業医で大きな疾患が見つかれば、この開業医が外来主治医となり、大病院での治療をアレンジすればよい。術後は外来主治医として患者をフォローすることになる。私の知人の一人は極めて優秀な泌尿器科開業医であり、外来主治医として責任ある診療を提供している。大病院はどうしても大掛かりな治療が主たる活動になるため、外来では、丁寧で細やかな診療がしにくい。大病院の有名外科医には多数の患者が集まるが、外科医の場合、手術に集中せざるを得ず、外来患者への細かなサービスを行うことは無理なのである。大病院との間で患者を受け渡しし、大病院が引き受けにくい患者の生活に近いところで、専門家として患者のケアに責任を持つのであれば、大病院で毎日手術に明け暮れている外科医が、外来患者にまで責任を持たせられている現状より、はるかにサービスは向上する。必要なのは、家庭医を含めて、生活の場に近いところで医療に責任を持つ医師である。責任を引き受けるのなら報酬が高くてもよいと思う。その場しのぎの診療に対して、高い報酬を支払う余裕は本邦にはない。「家庭医」や「外来主治医」の定義と義務を明確にして、患者との間で契約を交わすことにすれば、医療費に組み込むのは簡単である。私は引き受ける責任の大きさを診療報酬算定の根幹に据えること、また、これを医療の責任本位制とよぶことを提案したい。

 現在、多くの開業医が立派な役割を果たしているが、一方で医療への攻撃が強まる中、自分の責任を限りなく小さくしようとする開業医がいるのも事実である。日本医師会は、開業医の役割を大きくし、引き受けるべき責任を大きくすることをもっと主張するべきではなかろうか。会員の開業医に、ほとんど病気と思われないような患者まで病院に回すようなことをせずに、自分の責任で判断するよう指導すべきである。今までも、このような主張はしてきたのだろうが、目立たなかった。中央社会保険医療協議会の委員の選任といった場面で、アンフェアと受け取られかねないような行動が目立った。これは、日本医師会にも責任がある。日本医師会の政治活動が、他からどう見られているのかを、もっと気にしたほうがよいと思う。

(医療の崩壊。より)