あらためで中学英語を考える

 

 こうしたことを前提として、英語教育はどう行うべきかを考えなければならない。これだけの違いのある言葉を学習するのである。会話ができないから会話をもっと重視しようとか、ネイティブを連れてくればうまくなるだろうとか、もっと小さい時からやれば、楽しくすれば、等々、場当たり的な思いつきで「英語教育改革」などできるはずがない。実際、改革実施以来生徒の英語力は上がるのではなく、確実に低下してきたということは繰り返しになるがすでに見た通りである。

 

 もう一つ大事な前提がある。それは、日本は英語環境ではない、という当たり前の事実の認識である。アメリカで開発されたESL(English as a Second )anguage)という英語教育方法は、日本では基本的に不適切な教育方法であるということである。アメリカのESLは、英語を母国語としない移民などのアメリカ在住者を対象として間発された英語教育法なので、言語環境が英語環境であるということを前提としている。「常時」周りで英語が話されているという環境のもとで英語を学ぶのと、英語に接するのは英語を学ぶ時だけというのとでは、とくにヒアリングと会話について決定的な差がある。にもかかわらず、ESLはアメリカ生まれの「先進的」な英語教育論だなどと大誤解されている。この教育法の影響が英語教育者にかなり根強いことが、間違った「英語教育改革」の一つの原因になっていると思われるので、この確認をする必要があると考えるのである。

 

 こうした前提の上に立って、義務教育としての中学校の英語教育はどのようなものでるべきか、あらためて考えてみよう。