受験英語を「役に立たなくしている」元凶は

 和田秀樹さんが指摘しているように、大学の先生の手抜きのせいなのかどうかはわからないが、現状はひどすぎる。高枚の普通の英語レベルを無視した、あれだけ立派なレベルの試験間題を作る大学の先生が、どうして苦労をしてその試験をくぐり抜けてきた学生を鍛え引き上げ、使い物になる英語力をつけることにもっと力を注いでくれないのか、まことに不思議な感しがする。先生自身が「受験燃え尽き症候群」ならぬ、「試験間題燃え尽き症候群」に罹ってしまっているのではないかと思いたくなるくらいである。あるいは、学生の志、意欲の欠如ぶりを見て、あきらめてしまっているのかもしれない。むずかしいことはいろいろとあることだろうが、何とかしていただきたいと願うのは私だけではないと思う。

 

 大人の英語は、会話よりも、「読み」と「書き」であるというのが和田さんの考えである。会話については、流暢なお子さま英語などをめざすのではなく、むしろ相子にこちらに合わせてもらうように持っていくことを考えるべきである、といった実践的な提案もしている。

 

 「アメリカ人は、こちらから『ゆっくり話してください』などと働きかければ親切に応じてくれる国民性である。ただ、言葉というものの性質上、最初はゆっくり話してくれてもだんだん調子がついてきて早くなってきたりする。そういうときは遠慮せず、こちらが聞き取りが不得手であることを相手に認識させた方がいい。わからないとか、もっとゆっくり話してほしいと率直にいっていいし、多少筆談を交えてもかまわない。よくわからないまま、とんちんかんな受け答えをするよりはずっとましであろう。

 

 (中略)若干負け惜しみの気味もあるが、私は日本人が英語を話すときは流暢ぶらない方が得を寸ると思っている。むしろ下手なのに一生懸命しゃべっていると思ってもらった方が、向こうもこちらの言葉を類推してくれたり、わかるように話してくれるのだ。

 

 少なくとも、会話は何がなんでも相手に合わせる必要はないと思う」(前掲書、12

7~128頁)

 

 非常に面白い考えである。というよりこれが正解、当たり前のやり方ではないかと思う。変な英語コンプレックスがあるからこういう当たり前のやり方がなかなかできないのかもしれない。

文科省が英語を壊す』茂木弘道著より