小さい時でないと耳ができない?

 

 耳が敏感な子どもの時から英語に触れさせないと、聴き取り能力は身につかないから小学校からやらせるべきである、というのもよく言われることである。しかし、それも現実離れの空論である。

 

 第一に、発音の臨界期は六歳頃にくると言われている。すなわち小学校三年では耳が敏感な受容期をすでに過ぎているということである。ということは、その年になると小学生も中学生もほとんど差はなくなるのだ。そうなると、三年からではなく一年からでないとほとんど意味のないことになる。耳ということでいえば、幼後園からでないとあまり効果的ではないということに実はなるのである。

 

 第二に、馬鹿馬鹿しい仮定ではあるが、思い切って一年生からやろうということになったとしても、週二時間程度では耳がきたえられるほどの効果はまったく期待できないということである。海外に行くと子どもは比較的早く聴き取れるようになるといっても、それは長時間英会話にさらされるからであって、週二大二時間などではどうにもならない。単純に「子どもは」と考えるのは、勝手な思い込みによる幻想に過ぎない。

 

 第三に、中学からの学習でも、さらにいえば大人になってからでも、耳を作ることはいくらでも可能なのである。その方法については、第四章で詳しく述べている。何も、小急い時にこだわらなくても方法はあるのだということをここでは強調しておきたい。

 

 いずれにしても、週二時間程度の、会話主体の英語授業の非効率性、無意味さは明々白々である。これも「英会話幻想」が引き起こす害悪の一つの事例である。

 

 私は『小学枚に英語は必要ない。』にこのことを詳述し、またテレビ・ラジオなどでも小学校英語導入論者と議論をした。CSテレビ、朝日ニュースターでは、幼児英語教室を主宰されている松香洋子さんと、一時間番組で二度ほど討論した。さすがに松香さんもこんな半端な時間で英語が身につくとは言えず、英語に取り組むと積極性が出てくるとか、最後の決め手は「度胸がつく」という主張に終わったのであった。

 

 幼児に英語をやらせてはいけないと私が思っているわけではない。間違った幻想に基づいて中途半端なことをやっても何もならないと言っているのである。期待は九九%裏切られる