文法はありがたい魔法の鍵

 

 文法のもう一つの側面というより、本来の面目は人間の言語能力が生み出した、言葉に内在するその骨格の構造性、規則性ということにある。この構造性、規則性を明文化したものが文法の本質であって、人為的に作った規則ではない。渡部昇一先生は『英文法を知ってますか』(文春新書)の中で、次のように言っている。

 

 「なぜ人間は自分の母国語とまったく異質な外国語の文章の正確な意味を把握することができるのか。この不思議さは英文法によって起こされた。外国語の文法を知れば人はその言語の難しい文章の意味も正確につかむことができる。文法は外国語の文献に対する魔法の鍵なのである」(

 

 さらに、渡部先生は高校三年の時の文法体験を同書で述べている。それは、フランシス・べーコンの「学間について」という三ページくらいのエッセイを学校でまるまる一学期かけて読解したもので、その結果、「ベーコンが徹底的にわかった」という不思議な感覚を体験

したというのである。文法の持つ、言ってみれば神秘的な力を体験したというのだ。

 

 これは非常に高度なレベルでの話であるが、要するに文法とは、英語がわかるためのありがたい魔法の鍵だということである。筆者の体験は、ぐっとレベルが下がるが、高校一年の時に小野上次郎の文法(『新制英語の文法研究法』小野圭次郎著、小野圭出版社)を通読したところ、それまでなかなか理解できなかった『フランクリン自伝』が子らすら読めるようになった、ということがある。間違いなく、文法は「役に立つ」のである。

 

文科省が英語を壊す』茂木弘道著より