イレッサの是非

 

 タミフルと並んで近年副作用で騒がれた医薬としては、先ほども少し名前が出てきた抗ガン剤イレッサがある。二〇〇二年、「分子標的医薬」と呼ばれる新しいタイプの抗ガン剤として、大きな注目を浴びながら華々しくデビューした。

 

 今までの抗ガン剤の多くは、DNAを破壊するなどして細胞分裂を食い止めるものであった。これに対し、イレッサはガン細胞で多量に発現し、異常増殖の鍵となるEGFRというタンパク質の作用を阻害する。今までの抗ガン剤が正常細胞もガン細胞も無差別攻撃していたのに対し、イレッサは基本的にガン細胞だけを狙い撃ちできる、副作用の少ない夢の新薬と期待されたのだ。

 

 しかし医薬の常として、実際に人体に投与した場合理屈通りに行くとは限らない。この薬も間質性肺炎という重い副作用が出て、発売から三年ほどの間に七百名近い死者が出るという事態になった。マスコミからも連日集中砲火を浴び、一時イレッサは市場撤退寸前にまで迫い込まれた。

 

 しかし、ガンは極めて危険度の高い病気であるから、抗ガン剤を使うにせよ子術に頼るにせよ、治療には一定のリスクを伴う。マスコミ報道の中には「百人の命を救うために、一人を犠牲にしてよいわけはない」と書き立てたものもあったが、現実にはあり得ない「絶対安全」を求めた、典型的なゼロリスク症候群であると言わざるを得ない。

 

 実際、現場の医師の中には、イレッサの有用性を説く人も少なくない。ガン治療に関する多数の著書を持ち、第一線で多くの患者の診療に当たっている平岩正樹氏もその一人だ。氏はその著書『抗癌剤--知らずに亡くなる年間30万人』の中で、イレッサの副作用死の比率は一%超であり、これは他の抗ガン剤と変わりないレベルであることを指摘している。

 

 実際に氏はイレッサによって多くの人の命を救っており、マスコミの過熱報道は「歴史的狂気」であると断じている。イレッサによる一%の副作用を恐れるあまり、生き延びることに挑戦する患者の権利を奪ってよいということにはならないだろう。新薬を使わずにいれば副作用は起きないが、医学の進歩もまたありえない。

『医薬品クライシス』佐藤健太郎著より