人工呼吸器事故

 人工呼吸器やアラームがらみの事故は多い。この事件は実際にあった複数の事件を合成した真実に近い架空の話である。

 二〇〇三年、B病院で、深夜、人工呼吸器のチューブが外れたことに12分間気付かない事故があった。高齢の女性患者が、食道癌の術後、重症の肺炎を発症し、人工呼吸器が装着された。肺炎なので大量のたんがでる。たんの吸引の度にチューブが外される。また、咳き込んだとき、チューブは外れるようになっている。咳き込むと肺の圧力が高まる。チューブが外れないと肺が破れる可能性がある。肺にかかる圧力を逃がすためには、チューブは外れないといけない。チューブが外れたり、呼吸器に不具合がおきだときのために、血液中の酸素飽和度がモニターされ、低くなるとアラームが嗚るようになっている。ただし、病棟には人工呼吸器以外にも、輸液ポンプ類、各種モニターなど多数の医療機器が常時作動している。アラームも頻回に鳴っている。当時、この病棟には看護師が二名勤務していた。たまたま、別の患者に心停止があった。医師が蘇生作業を実施し、一名の看護師が介助していた。残った一名の看護師も忙しく立ち働いていた。アラームは鳴ったはずだが、誰もこれに気付かなかった。患者は低酸素脳症のため意識がなくなった。事故の発生後、速やかに病院は家族に事故について報告した。患者の意識は以後もどらなかった。四週間後、患者は肺炎のために死亡した。この事件は発生直後に警察に届けられ、警察の捜査を受け た。

 私は現在の人員配置、すなわち、病床数あたりの看護師の人数が先進諸国に比べて極端に少ない状況で、このような事故が防げるとは思わない。日本では、個々の病院に医療費を決める権限がない。自分のサービスの値段を自分で決められない。病棟にどの程度の人数を配置するのかも厚生労働省が決めている。病棟の性格により、看護師の配置基準があり、これに従わざるを得ない。基準以上の配置だと、病院が破産するし、基準以下だと違反として摘発される。

 この事故の原因は人員配置の問題であり、医療費の問題に帰着する。この事故の責任の一部は現在の医療行政にある。あるいは、現状の人員配置を社会が容認していると考えるなら、受忍範囲とみなす意見が出てくる。考え方はさまざまである。

 家族はこの事故を善悪の問題としてとらえ、病院を激しく攻撃した。当初、病院に看護師の処罰を要求した。これについては、人員配置に無理があり、処罰することは適切ではないとして、病院長が即座に拒否した。これは適切な対応だった。院長が「患者の立場」に立って看護師を処罰すると、看護師の士気は地に落ちる。下手すると看護師の大量辞職まで起こりうる。

 家族は事故発覚直後から、家族への慰謝料を含む賠償金を要求した。この患者は、事故がなくても、重症の肺炎のために死亡する可能性が極めて高かった。高齢でもあり、逸失利益は、計算上はそれほど大きいものではない。患者の死後、病院は金銭交渉に入り、かなりの金額の和解金を支払った。

 

『医療の崩壊』より